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私が購読させていただいている月刊誌・致知の記事に、理学博士の西堀榮三郎先生の
記事がありましたので、ご紹介したいと思います。



「人には三種類の師がある」 西堀榮三郎(理学博士)

先生とか師というものは如何様にも解釈することができるので、
たくさんの先生や師といわれる人たちを持ってきた。

それは時代、時代によってみな違う。けれども、私は特定の先生とか師というものは、
むしろ、それほど重要に思っていない。
師には、解釈によっていろいろな種類があるが、私は三通りに分けている。

・自分に知識をさずけてくださる人
・人生の指針を与えてくれる人
・自分の考えていることを実行するのにおいて援助してくれる人
の三通りが師と呼ばれうる人々である。

"知識を与えてくれる師"には、学校の先生がいるが、私は自分で勉強して知識を獲得するということに重点をおいている。文献を読むことで知識は得られる。
しかし、もっと大切な対象は、現実の現象そのものである。
いいかえれば、自分の探求心によって求めさえずれば、だれからも、あらゆる現象のどんな事柄からも知識は得られる。
従って、自分に知識を与えてくれる師は、森羅万象すべてである。

第二番目の"自分に人生の指針を与えてくれる"師には、身近な人々たちや過去のいろいろな先人の経験談がある。自分が悩んでいるようなときに心の琴線にふれる、
そんなときに強く師を感じる。これまた、いたるところに師あり、といってよい。

第三番目の"自分のやろうということに援助してくれる人々"は、もしその人を師と呼びうるならば、非常に大切な師である。特に、自分がだれもやっていないような新しい事柄、考えを持っているときには、いっそう得難い。



私は、この会社をはじめて、師と言える人物と出会うことができました。
有名な方でありませんが、優れた感性を持ち、強い個を持ち、人間臭さのある厳しくも暖かい方です。その方の前では、弱い部分もさらけ出し、言われる言葉を素直に信じることができます。

ふと思えば、今までにも私は経営者をはじめ、たくさんの方と出会ってきました。
おそらく師と言える存在になりえた方との出会いもあったと思いますが、その時には気付くことすらできなかった。

人は身勝手です。その心持によっては、相手の思いやりにすら気が付くことができないだけでなく、親切心にすら穿った見方をして裏切ることすらある。
なぜそんなことが起こるのか、これは弱みを見せまいとするプライド、素直さを失った時に起こっているように感じます。

上司・部下、お客さまなどなど、人に恵まれない、そう思っている方もいらっしゃると思います。
ですが、それは自らが他の方から差し伸べられている手に気が付いていないだけ。自分を守ろうとするあまりに、周りが見えなくなっているだけではありませんか?

身近な方への感謝心を忘れることなく、日々を懸命に過ごしていきましょう。
すぐに思うような結果が出なくとも、決して腐ることなく継続していきましょう。
仕事でも、そうでなくとも、必要とされることであれば、継続の先には必ずや結果が待っています。