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「鬼は外、福は内」と節分は行いましたか?
本来、節分とは季節を分けるという意味で、「立春、立夏、立秋、立冬の前日」のことをいいますが、中でも旧暦で新年の始まりと重なることの多い立春の前日が重要視されるようになりました。
春を迎えるということは、新年を迎えるにも等しいぐらい大切な節目だったため、室町時代あたりから節分といえば立春の前日だけをさすようになりました。
中世の陰陽道では、年越しにあたる節分の夜は、一年の中で陰から陽へと秩序が最も変わる日とされ、このような日には、普段姿を隠している鬼や魔物が出現しやすいと考えられていました。豆まきは、それらを追い払うための行事です。
私が子どもの時にはこのような仕来りで節分を過ごしていました。今では「恵方巻」など違った節分の過ごし方がありますよね。

先週、子ども達の保育園でも節分がありました。鬼に扮した先生が子ども達を驚かせます。それを子どもたちが、大豆に見立てた新聞紙を投げつけて鬼を追い払います。なぜ大豆ではないのでしょうか?そもそもなぜ大豆を使用するかというと、大豆は五穀のひとつで穀霊が宿るとされており、米に次いで神事に用いられてきました。米よりも粒が大きく、穀霊で悪霊を祓うのに最適であることや、魔の目(魔目=まめ)に豆をぶつけて魔を滅する(魔滅=まめ)にも通じます。また、昔々、京都鞍馬山に鬼が出たとき、毘沙門天のお告げによって大豆を鬼の目に投げつけて退治したという話もあります。そういう習わしで大豆を使っていたはずなのです。
しかし、現代の教育現場では今までの習わしよりかは「食べ物を粗末に扱うこと」が保護者への第一優先の対応とのことで大豆が新聞紙になってしまっているとのことです。それを悲しき事と思うのか、はたまた時代によって変化しなければならないものなのかと考えてしまった今年の節分なのでした。